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歴史

歴史概略

1世紀に登場した扶南王朝が現在のカンボジアの原形とされます。東南アジアでは早い段階の国家の誕生でした。
7世紀には扶南王国を倒した「真臘(チェンラ)」が中国の史書にも登場、シャム湾の沿岸まで勢力を拡大しましたが、8世紀にはジャワの勢力に押され分裂・衰退していきます。
アンコール遺跡の華やかな歴史が本格的にスタートしたのは9世紀初頭。802年にジャヤバルマン2世が分裂した国家を統一、アンコール王朝が登場。550年に渡りアンコール・ワットを始め数々の名建築を残したこの王朝は、一時はチャム族などの勢力に押され気味になったものの、12世紀にジャヤバルマン7世が即位してからは、チャンパ王国を併合するなど、現在のカンボジア、タイ、ラオス、南部ベトナムまで版図を広げ栄華を極めます。この時期に、現在のタイまで続く国道を始め、主要な道路網も整備がすすみました。病院も100以上が建設されています。
しかしジャヤバルマン7世の没後は王国は再び衰退をはじめ、たびたびタイのアユタヤ王朝の侵略を受けます。
ついに王都が陥落したのは1432年。王族はプノンペンまで落ち延び、プノンペンからロベット、ウドンと次々と遷都を繰り返しました。アユタヤ王朝は1474年にはカンボジアの宗主国となり、18世紀末には北部諸州をアユタヤ王朝に編入。王族はベトナムのグエン朝と協力しようとしますが、逆にメコンデルタなどの南部がベトナムの勢力下に置かれてしまい、1841年にはグエン朝に併合されます。なお16世紀から17世紀にはプノンペンなどに日本人町ができるなど、多くの日本人がカンボジアを訪れています。アンコール・ワットの回廊には、ここを祇園精舎と考え参詣した森本右近大夫の落書き(1632年)が残されています。
強力な隣国の圧迫で危機に瀕したカンボジアの王家は、1863年フランスと保護条約を結びますが、今度はフランスに主権を奪われ1887年にフランス領インドシナ連邦に編入、植民地となります。農民には人頭税が課せられ、厳しい賦役に駆り出されるなど人々の不満はつのりました。
1945年にいったんは日本軍がフランスの実権を奪取し「解放」されるものの、第2次世界大戦の終戦とともにカンボジアは再びフランスの保護下に。1953年にシアヌーク王のもと再度独立を宣言しますがベトナム戦争を背景に政争は激しくなり、1970年の政変でシアヌーク元首は解任されアメリカを後ろ盾にしたロン・ノル政権が成立。しかしアメリカ軍が1975年にプノンペンから撤退するとロン・ノル政権は崩壊、ポル・ポトを中心とした解放勢力がプノンペンを制圧します。この解放勢力は民主カンボジア政府、またはクメール・ルージュと呼ばれる左派勢力で、純粋な共産主義を目指しプノンペン市民の農村への強制移住、宗教活動の禁止、文化活動の禁止といった極端な政策を強行、反政府勢力とみなされた人々や知識人は次々と粛正され、国内は混乱に陥ります。粛正を免れた反政府勢力もベトナムの後押しを受けながら間もなく反撃を開始、シアヌークを中心とする勢力も台頭し内戦は泥沼化。国土には多くの地雷が埋め込まれ、数多くの難民を産み出しました。
1992年に国連平和維持活動(UNTAC)が開始され、ようやく平和への歩みを始めたカンボジアですが、経済や政治など、長く続いた混乱の名残りは多く、未来への課題が多く残されています。

略年表

世紀 年代 できごと
1世紀頃   カンボジア南部に「扶南」興る
6世紀 514年 ルドラバルマン登位
550年 メコン川中流域にクメール族が真臘を起こす
7世紀 611年 イーシャーナバルマン王、碑文を残す
681年 ジャヤバルマン1世崩御
8世紀 707年 真臘の分裂
9世紀 802年 ジャヤバルマン2世即位。アンコール王朝興る
877年 インドラバルマン1世即位
889年 ヤショバルマン1世即位。首都ヤショダラプラ造営
10世紀 928年 ジャヤバルマン4世即位
944年 ラジェンドラバルマン1世即位
969年 ジャヤバルマン5世即位
11世紀 1002年 スーリヤバルマン1世即位
12世紀 1113年

スーリヤバルマン2世即位。アンコール・ワット建設

1145年 アンコール朝、チャンパを支配(~1149年)
1181年 ジャヤアルマン7世即位。アンコール・トム造営
1190年 アンコール朝、チャンパを支配(~1220年)
13世紀

13世紀初頭

ジャヤバルマン7世、アンコール・トム完成 
1220年頃

インドラバルマン2世即位 

1296年 周達観、アンコールを訪問
14世紀

1353年

シャム軍の第1回アンコール攻略

1394年 シャム軍のアンコール攻略
15世紀 1431年ごろ
アンコール王都陥落
1474年 シャム(アユタヤ朝)への宗主権認める
16世紀 1528年 1528アン・チャン1世、新都ロベックを造営
17世紀 1603年 シャムの宗主権を認める
1623年 カンボジアの首都、ウドンを建設。
1632年 日本人の森本右近大夫一房、アンコール・ワットを訪れる
1692年 5000人ほどのチャム人集団がカンボジアに亡命
18世紀 1731年

サタ2世、カンボジア南部(現ベトナム南西部)2州をフエ朝廷に割譲

1775年 シャムの宗主権下に入る
1792年 1万人ほどのカンボジア人、運河掘削のため、バンコクへ連行される。
1795年 バタンバン、シェムリアップ両州、シャムに帰属
19世紀 1814年 シャム、ストゥン、トレン州などを併合
1841年 フエ朝廷、カンボジアを併合
1860年 アンリ・ムオー、アンコール遺跡調査
1863年 フランス・カンボジア保護条約調印
1884年 フランス・カンボジア協約調印
1887年 フランス領インドシナ成立
1893年 ストゥントレン、ラタナキリなどの一部がフランスに帰属
20世紀 1907年 タイよりカンボジアにアンコール地方返還、シェムリアップなど西北部3州がフランス領となる
1908年 アンコール遺跡事務所開設
1946年 インドシナ戦争開始(~1954)
1949年 フランス連合内で独立
1970年 ロンノル政権成立、米軍がカンボジアに侵略
1975年 クメール・ルージュの民主カンボジア政府が成立
1976年 ポル・ポトが首相に就任
1979年 ベトナム軍がプノンペンを占領(ヘン・サムリン政権)
1982年 反ベトナム3派民主カンボジア連合政府(シアヌーク大統領)が発足
1991年 国連の平和維持活動開始
1993年 制憲議会選挙でフンシンペック党が第1党に
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