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歴史

歴史概略

エーヤワディ川(イワラジ川)を中心にした肥沃な大地を抱えるミャンマーには、昔から多彩な民族が暮らし勢力争いを繰り広げてきました。南をモン族、北をピュー族が掌握していた時代を経て、やがて台頭してきたのが北方から南下してきたビルマ族。11世紀にはバガン王朝が栄え、仏教が広まり、現在のミャンマーの基礎が築かれたとされています。16世紀に栄えたタウングー朝、18世紀に興ったコンバウン王朝などがミャンマーを大きく発展させましたが、19世紀にイギリスが侵出してきたことで情勢は一変。イギリス領インドに併合され、さらにその後侵攻してきた日本軍により一度は独立を果たしますが終戦とともに再びイギリス領に。終戦後まもなく独立しますが、社会主義政策と民主化運動とのせめぎあいが続きましたが、情勢は安定しつつあります。

略年表

世紀 年代 できごと
6・7世紀ごろ   モン族がインドシナ半島を西進し、ミャンマー南部に定住。
8世紀ごろ   エーヤワディ川中流にピュー族の王朝が起こる。ビルマ族がチベット、雲南方面から南下。ミャンマー南部に定住する。
9世紀   ピュー王朝が衰退し、ビルマ族の勢力が拡大していく。9世紀中ごろ、ビルマ族がバガン王朝を建設。
11世紀 1044年 バガン王朝のアノーヤター王即位。
1057年 モン族の都タトンを制圧し、バガンがミャンマーの政治、文化の中心に。仏教が広まる。
1084年 3代チャンシッター王即位。数々のパゴダを建設し、バガン王朝は最盛期を迎える。
13世紀 1287年 蒙古の大軍の攻撃で、バガン王朝はほぼ壊滅。群雄割拠時代に突入。
14世紀 1312年 シャン系民族がピンヤに築城、15年にはサガインに築城。
1364年 ピンヤとサガインの王国はインワに統合される。
15世紀   シャン系民族に追われたミャンマー族はタウングーに逃れ、タウングー王朝を築く。
16世紀   モン族を攻略したタウングー王朝は、チェンマイに攻めいり、1564年と1569年にアユタヤを攻略。74年にはビエンチャンを征服。しかし支配力は弱く、やがてまた小国が多数出現する。
17世紀 1635年 ミャンマー族はインワに遷都。第2次インワ王朝時代に。
18世紀 1752年 モン族が勢力を増大し、インワが陥落。タウングー王朝は滅亡。
1755年 アラウンパヤーが指揮するミャンマー軍は、ミャンマーのほぼ全土を掌握。コンバウン王朝を立て、ダゴンを占拠してヤンゴンと改称。
1767年 第3代シンピューシン王、再びアユタヤを攻略。
19世紀   コンバウン王朝とイギリスの紛争が始まる。
1824年 第1次英・ビルマ戦争勃発、ミャンマーはアラカンとタニンダーリを失う。
1852年 第2次英・ビルマ戦争で、エーヤワディデルタを失う。
1857年 首都をアマラプラからマンダレーに遷都。
1885年 第3次英・ビルマ戦争で最期の王・ティポーがインドに連行される。イギリス植民地時代の開始。
20世紀 1941年 日本軍の侵攻が開始される。アウンサン率いる独立義勇軍が日本軍とともに侵攻。
1943年 日本の大東亜共栄圏の一員として独立。
1944年 抗日運動開始、45年には再びイギリス領に。
1947年 アウンサン暗殺。
1948年 ビルマ連邦として独立、ウー・ヌが初代首相になるも、少数民族や共産党の反乱で内戦に。
1962年 ネ・ウィン将軍のクーデターが成功し、社会主義政策が始まる。
1981年 ネ・ウィンは大統領をサン・ユに譲る。
1988年 民主化デモがゼネストに発展し騒乱状態に。国家法秩序回復評議会(SLORC)が全権掌握。
1990年 総選挙実施。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝、本人の自宅軟禁続く。
2006年 ヤンゴンからネーピードーへ遷都。
2010年 アウンサンスーチー、度重なる自宅軟禁から開放される。
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