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歴史

歴史概略

エストニアには紀元前2500年頃から、先住民とともにフィノ・ウゴル族がエストニア人として住み続けています。
12世紀、エストニアを含むバルト地域はチュートン騎士団の強い権勢に支配され、その後ドイツとデンマークの十字軍によってキリスト教化が進められました。14世紀にはエストニア各地で教会や要塞、街が建設され、当時レヴァルと呼ばれていたタリンはハンザ都市の一つとして繁栄し、そこに住み着いたドイツ人商人により貿易が支配されました。その後、デンマーク、スウェーデン、ポーランド、ロシアによる領土争いが繰り広げられたリヴォニア戦争にスウェーデンが勝利し、18世紀初頭までエストニアを支配。大北方戦争終結後のロシア占領下においても、ドイツ貴族たちはその領地支配を継続し、タリンはハンザ都市として維持されました。


1918年2月24日、エストニアは独立を宣言。この日が現在の独立記念日となっています。その後の2年間に渡り、エストニアはソヴィエトとの間で自由獲得のために戦いを繰り広げました。これがいわゆる「エストニア自由戦争」と呼ばれる戦いです。そして、この間に日本がエストニア共和国を事実上承認しました。
1939年の独ソ不可侵条約の秘密議定書により、エストニアは旧ソ連に組み込まれます。国外逃亡やシベリアへの抑留などにより、多くのエストニア人、バルト・ドイツ人を失う結果となりました。
1988年に開催された「歌と踊りの祭典」で当時禁止されていたエストニア国歌を歌った「歌の革命」を機に1991年8月20日、旧ソ連からの独立回復を宣言し現在に至っています。

略年表

世紀 年代 できごと
13世紀 1219年 デンマーク人が進出し、タリン市を築く
14世紀 1346年 ドイツ騎士団が進出し、領有
17世紀 1629年 スウェーデン領となる
18世紀 1721年 北方戦争の結果ロシア領となる
20世紀 1918年 独立を宣言
1920年 ソ連と平和条約を締結
1940年 ソ連に併合
1990年8月20日 エストニア最高会議が独立回復に関する決定を採択
1991年9月6日 ソ連国家評議会がバルト三共和国の国家独立に関する決定を採択
21世紀 2004年3月 NATO加盟
2004年5月 EU加盟
2010年12月 OECD加盟
2011年1月 ユーロ導入
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