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歴史

歴史概略

現在のブルガリアであるドナウ川南部には、紀元前3000年頃よりトラキア人が暮らしていました。トラキア人は世界最古の黄金文明を築いた人々とされ、トロイ伝説にも登場しています。紀元前4世紀ころにトラキア人の王国は最盛期を迎えますが、その後マケドニア人、ローマ人、東ローマ・ビザンチン帝国の支配下に入りました。


6世紀にスラヴ人が南下し、ドナウ流域に住むようになります。7世紀にアジアからやってきたブルガール人は、先住のスラヴ人と連合を組んでビザンチン帝国との戦いで勝利し、681年にアスパルフが第1次ブルガリア帝国を打ちたてました。ブルガール人はしだいに多数派のスラヴ人と混血し、現在のブルガリア人の先祖となりました。


第1次ブルガリア帝国はキリスト教を国教として受け入れ、9世紀末~10世紀のシメオン王の時代に、黒海からアドリア海にいたる帝国を作り最盛期を迎えました。しかし、その後ビザンチンとの戦いに破れ崩壊。11世紀初めに再びビザンチン帝国の領土に組み込まれます。


次にブルガリア人が自らの国を打ち立てたのは1187年のことです。ビザンチン帝国に対して反乱を起こしたベタルとアセン兄弟の軍が勝利し、第2次ブルガリア帝国が誕生しました。都は現在のヴェリコ・タルノヴォに置かれ、イヴァン・アセン2世の時代にマケドニア、アルバニアも版図に加え全盛期を迎えました。しかしその後政治は混乱し、バルカンに攻め入ったオスマン・トルコ軍に破れ1393年に首都は陥落し滅亡。それ以後ブルガリアは500年近くトルコ人の支配のもとにおかれました。


1877年、南下政策のもとブルガリアを援助したロシアがトルコと戦い勝利(露土戦争)。ブルガリアは自治国として認められたものの、国土の一部は分断されたままでした。悲願の完全独立を果たしブルガリア王国が誕生したのは1908年のことです。その後2度のバルカン戦争、2度の大戦を経て、1946年王制は廃止され、親ソ連政策のもと社会主義の道を歩みました。


1989年、ペレストロイカの影響はブルガリアへも及び、33年もの長期にわたり独裁体制をしいてきたジフコフ共産党書記長が解任され、共産党政権は崩壊。複数政党制へ移行し、国名も「ブルガリア共和国」と変更されました。

民主化の実現以来、親ヨーロッパの政策を打ち出し、2004年NATOに加盟。2007年にはEU欧州連合への加盟を果たしました。

略年表

世紀 年代 できごと
紀元前6世紀   黒海沿岸にギリシャ人の植民都市建設が始まる
紀元前4世紀   トラキア人の王国が繁栄
1世紀 46年 トラキア人のオドリュサイ王国が滅亡。ローマ帝国の属州になる
4世紀   東ローマ(ビザンチン帝国)の支配を受ける
6世紀   スラヴ族がバルカン半島を南下し定住
7世紀   アジア系のブルガール族が南下しスラブ族と連合
681年 第1次ブルガリア帝国が成立
9世紀 864年 ボリス1世がキリスト教(正教)を受け入れる
893年 シメオンの統治が始まる。(第1ブルガリア帝国の最盛期)
11世紀 1018年 第1ブルガリア帝国の崩壊。再びビザンチン帝国の支配下に入る
12世紀 1185年 第2ブルガリア帝国が成立。
13世紀 1218年 イヴァン・アセン2世の統治が始まる。(第2ブルガリア帝国の最盛期)
14世紀 1393年 タルノヴォが陥落し第2ブルガリア帝国が崩壊。トルコの支配下に入る
19世紀 1876年 反トルコの4月蜂起が鎮圧される
1877年 露土(ロシア・トルコ)戦争が始まる
1878年 サン・ステファノ条約で自治国となる
1879年 ベルリン会議で領土縮小。ブルガリア王国成立
20世紀 1908年 ブルガリアの完全独立
1941年 三国同盟に加盟
1944年 ソビエト軍が侵攻。連合国と講和条約締結
1946年 王政廃止。ブルガリア人民共和国発足
1989年 ジフコフ共産党書記長が辞任。共産党政権が崩壊
1990年 ブルガリア共和国と国名変更
1991年 新憲法採択
21世紀 2004年 NATO加盟
2007年 EU加盟
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