行き先を選ぶ

エリア別で選ぶ

世界地図から選ぶ

歴史

歴史概略

もともとキューバには、シボネイ族、タイノ(またはアラワク)族といった農耕を営む先住民族が数十万人暮らしていたと言われます。

1492年10月27日、コロンブスが第一次航海でキューバに到着。

1511年、スペインのディエゴ・ベラスケスの遠征隊がキューバを征服し、初代キューバ提督に就任。以後1902年に独立するまで、スペインの支配下に置かれます。征服者たちは先住民を虐待し、さらに彼らが持ち込んできた疫病のために100年ほどで先住民たちはほとんど絶滅してしまいました。

植民地経営は金の採掘で始まりましたが、やがて枯渇。海路の要所だったため、交易や牧畜、農園の経営などで経済はまかなわれていました。良港を狙うヨーロッパの列強や海賊にも狙われ、海岸線には要塞が次々と築かれていきます。

転機は18世紀末。フランス領のハイチで奴隷の反乱が起り、ハイチの砂糖産業が壊滅。黒人奴隷の輸入が認められたキューバでは「砂糖革命」と呼ばれる大規模な砂糖産業が展開されていきます。アメリカ合衆国が独立し、有力な貿易相手になったのも追い風となりました。1840年代になると鉄道が導入され流通も発展、1860年代には世界最大の砂糖の生産国となります。

1868年、スペインの圧政に対してクリオーリョ(土着化したスペイン人)の地主たちが武装蜂起。10年間の戦争の末鎮圧されますが奴隷は解放され、砂糖業の近代化、そしてアメリカの資本進出が進みました。

1892年、ホセ・マルティがキューバ革命党を結成、1895年に再び独立戦争を開始。やがてアメリカがキューバに加担し、スペイン軍を撃破。1902年、キューバ共和国が誕生しますが、事実上これはアメリカの軍政下に入ることを意味していました。

アメリカの資本投下のもと、キューバの経済は相場に左右される砂糖に依存せざるを得ず、1920年代の世界恐慌にも追い打ちをかけられ労働者は困窮します。1933年に革命が起こりますがわずか4ヵ月で崩壊、アメリカの圧迫は一段と強まります。

1953年、フィデル・カストロが親米政権を倒すべく蜂起しますが捕らえられ、メキシコに渡ります。彼はチェ・ゲバラらと組みゲリラ戦を展開、1959年には革命政府を樹立、1960年にはソ連と外交関係を結び社会主義への道を選択。しかしこれによりアメリカとの関係は悪化、アメリカは経済封鎖を行います。

1962年、アメリカのケネディ大統領はソ連がキューバにミサイルを配置していると指摘し、これを阻止しようと動いて一触即発の空気になりますが、ぎりぎりで戦争は回避されました(キューバ危機)。しかし、経済制裁は緩和されながらも現代に至るまで継続されたままです。

ソ連崩壊後、最大の貿易相手を失ったキューバ経済は深刻な危機に陥りましたが、カストロは農地の民営化など積極的な政策を次々に打ち出し壊滅の危機は脱出、その後も観光や医療にも力を入れて諸国との関係を深めています。

2008年、カストロは引退を表明。実弟のラウル・カストロ副議長が議長に就任しました。2011年4月には、フィデル・カストロは政界からの完全引退を表明しています。

日本との関係 1614年、仙台藩主伊達政宗に仕える藩士・支倉常長が率いるおよそ150名の「慶長遣欧使節団」がキューバに立ち寄っています。19世紀には日本からの移民も盛んに行われ、現在も日系人が数多く暮らしています。近年はキューバの国技である野球での交流も深く、柔道や剣道などの武道といったスポーツ交流、また音楽での民間交流も活発です。作家の村上龍はハバナの名誉市民です。

中米の民族比率を変えた「お茶」
17世紀以降、ヨーロッパ諸国では急激に喫茶の風習が広まり、茶葉と砂糖、さらにコーヒーが求められました。特に砂糖は需要が高く、カリブ(西インド諸島)諸国やブラジルなどの生産国では農場を広げるべく、黒人奴隷にその労働力を求めます。
ヨーロッパ諸国はアフリカに繊維や武器を運び黒人奴隷と交換、奴隷はそのままカリブやブラジルに運ばれ、ここで交換された砂糖はヨーロッパに運ばれました。ルートが三角形を描くため、これを「三角貿易」と呼びます。
キューバにおいては、先住民がほとんどいなくなってしまったため大量の黒人奴隷が必要とされ、70~100万人ほどが連れてこられました。19世紀前半には黒人人口は白人を上回るほどになります。19世紀後半には、契約労働者として15万人の中国人も連れてこられています。
英雄チェ・ゲバラ
1928年アルゼンチン生まれ。裕福な家庭に生まれましたが、ブエノスアイレス大学医学部を卒業後オートバイで中南米を放浪している間に、貧困に苦しむ人々と出会うことで革命を志すようになります。メキシコで亡命してきたカストロと出会い意気投合、その日のうちにキューバ革命に参加することを決意。当初は軍医として参加する予定でしたが、そのリーダーシップからカストロの補佐として頭角を現します。シエラ・マエストラ山中で新聞やラジオで情報を発信、ゲリラ戦でも卓越した能力を発揮して、サンタ・クララの戦いでも活躍、バチスタ政権にとどめを刺します。
1959年にハバナ入りしてからはカストロ政権下で働きますが、革命活動に引き続き参加することを選び、コンゴ、そしてボリビアに渡り1967年戦死。38歳の若さでした。

略年表

世紀 年代 できごと
15世紀 1492年 コロンブス到着
16世紀 1511年 ディエゴ・ベラスケスがキューバ征服
17世紀 1614年 支倉常長ら一行、キューバに到着
19世紀 1868年 第一次独立戦争(10年戦争)
1892年 ホセ・マルティ、キューバ革命党を結成
1895年 ホセ・マルティ、第二次独立戦争
1898年 米西戦争
20世紀 1902年 独立、キューバ共和国誕生
1953年 フィデル・カストロ蜂起
1959年 キューバ革命。カストロ政権樹立
1960年 ソ連と外交関係を結ぶ
1961年 アメリカとの外交関係を断絶
1962年 キューバ危機
1965年 キューバ共産党結成
1976年 新憲法制定、カストロ国家評議会議長就任
21世紀 2008年

カストロが議長から引退、ラウル・カウストロが議長に

2011年 フィデル・カストロ、政界を引退
  • 現地発着ツアー情報
DTAC観光情報局 twitter Followで最新情報をゲット!!
  • DTACキューバ観光情報局長 池上和徳(Kazunori Ikegami)
  • ナビゲーション・サポート
Web TRAVEL