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コロン、パナマ運河、ポルトベロ

コロン

Colon

カリブ海に面したパナマ第2の都市。古くから貿易港して栄え、パナマ運河のカリブ海側の出口でもあります。世界遺産ポルトベロとサン・ロレンソなどパナマを代表する観光地にも近いですが、治安がいいとは言えません。ひとり歩きなどは避けるべきでしょう。

コロン・フリーゾーン

Free Zone in Colon

西半球最大の自由貿易港で、世界の物資が集まる輸出入センターです。各種原材料や機械などを扱う問屋街があり、買物ツアーなどもあります(原則として、個人の一般消費者向けではありません)。単なる輸出入だけでなく、機械の保管、加工、処理、組立、再梱包などもここで行われ、再輸出されていきます。

パナマのシンボル

パナマ運河

Panama Canal

photo

(c)Panama Embassy

パナマ運河とは、パナマの中央部で太平洋とカリブ海(大西洋)をつなぐ、全長およそ80キロにおよぶ運河です。段差がある運河のため、運河には閘門(こうもん。ロックとも呼ばれます)が3ヶ所あり、運河の水量をこの閘門で調整しながら、船は階段を上り下りするように8時間以上かけて(待ち時間も含めると24時間くらいかかります)ゆっくり通行。この運河の通行そのものが、クルーズ観光の呼び物となっています。水路の幅が狭く船の大きさが限られるのが難点で、現在新たな運河造りが取り組まれています。太平洋側のミラフローレス水門、大西洋側のガツン水門には、それぞれ観光客向けの運河見学施設があります。

パナマ運河を夢見たパイオニア、レセップス

16世紀、メキシコを征服したコルテスらは、早くからパナマ地峡を横断する運河を構想していました。実際に着手したのはフランス人のレセップス。彼はエジプトに駐在していたとき、太守の要請で地中海と紅海をむすぶ全長164キロのスエズ運河を造営しています。準備に5年、建設に10年という大がかりな工事でした。

これによりフランスの英雄となったレセップスは、70代になってからパナマ運河の構想に着手。全世界から学者や技術者を集めた「両洋間運河研究国際会議」を招集、運河は閘門式でなく海面式を採ることに決定。パナマ運河会社が設立され、市民も株を購入できる株式会社として資金を集め、1880年いよいよ着工。しかし平坦な砂漠だったスエズと違いパナマには丘陵や河川があり、さらに労働者は熱帯の黄熱病やマラリアに苦しめられます。

見込みと違うことが多かった工事は難航し、工事開始後5年目には資金の枯渇や工事の停滞を重くみたフランス政府も実態調査に乗り出します。政府の勧告を受けたレセップスはついに海面式を断念、閘門式への切り替えを決断しますが、資金繰りがうまくいかず会社は倒産し、レセップスは2つの運河を完成させる夢を果たすことはできませんでした。

ポルトベロ

Portobelo

パナマ第2の都市コロンから30キロ西に位置する港町です。ポルトベロとは「美しい港」という意味です。
16世紀の大航海時代、スペイン人たちは次々とアメリカ大陸にやってきました。1513年、スペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアがパナマ地峡を経て太平洋到達。ペルーへの足がかりとしてパナマシティー郊外に植民地が造られました。1532年、ピサロがパナマを拠点としてペルーへ遠征し、インカ帝国を制圧しました。ペルーの財宝、ボリビアの銀など多くの富はパナマに集められ、ポルトベロからヨーロッパへと送られていきました。 主要貿易港だった頃に海賊の襲撃に備えて造られた5つの要塞群が残っています。

  • パナマシティーからツアーがあります。

 世界遺産

パナマのカリブ海沿岸の要塞群

Fortifications on the Caribbean Side of Panama

1980年に登録された文化遺産。ポルトベロに残る5つの要塞、サン・フェリペ・トド・フィエロ、サンティアゴ・デ・ラ・グロリア、サン・クリストバル、サン・フェルナンド、サン・ヘロニモと、サン・ロレンソ要塞が登録されています。略奪行為の標的にされることが多かった17世紀のスペイン植民地時代に造られた軍事施設です。サン・ロレンソ要塞は1597年にフランシスコ・バルベルデ・イ・メルカドにより建設されました。5つの要塞群がポルトベロの防衛を担い、サン・ロレンソ要塞はチャグレス川河口を守りました。しかしそれでも何度か大規模な海賊の侵略を受けいくつかの要塞は破壊され、のちに再建されました。

サン・ロレンソ国立公園

チャグレス川の河口、カリブ海に面したサン・ロレンソには世界遺産に指定されたサンロレンソ要塞があり、この一帯は1万2000ヘクタールほどが国立公園に指定されています。特にバードウォッチャーに人気。鮮やかな黄色のキヌバネドリなどが観察でき、そのための散策路もあります。

カミノ・デ・クルセス

Camino de Cruces

チャグレス川に沿った道で、スペイン植民地時代に、南米から運ばれる金銀財宝の運搬路となっていました。宝物を持ち帰りチャグレス港に到着したスペイン人たちは、カヌーでチャグレス川を渡りカミノ・デ・クルセスにたどり着き、そこからパナマシティーを目指したのです。

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