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歴史

歴史概略

もともと、漁業などに従事していた先住民族がパナマ周辺に多く暮らしていましたが、大航海時代にヨーロッパ人が到来、パナマ地峡があり南米への足がかりとしてちょうどいい立地にあったパナマも侵攻の対象になりました。
スペインの植民地にしたのはパナマの通貨単位になっているバルボア。1519年にパナマシティーがつくられ、ペルーやボリビアの財宝の集積地として栄え、この時代に海賊との戦いも繰り広げられました。
1718年にコロンビア、ベネズエラ、エクアドルと共にヌエバ・グラナダ副王領になりました。1821年には大コロンビア共和国として独立。しかしその後、大コロンビアが分裂、1830年にはヌエバ・グラナダ共和国の一部となりました。
1886年にコロンビア共和国が成立、パナマ運河の建設をフランスの企業より引き継いだアメリカの支援を受け、1903年にコロンビアからの独立を果たしました。1999年にパナマ運河が返還されるまで、パナマは実質的にアメリカに支配され続けました。パナマはまずスペインから、そしてコロンビアから、最後にアメリカから独立したのです。

[パナマ運河が導いた、近代パナマの歴史]
近代パナマの歩みは、パナマ運河の開発とともにありました。
19世紀末、フランス人外交官レセップスはパナマ地峡を横断して太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河建設に乗り出します。このときの試みは失敗に終わりますが、アメリカとイギリスは莫大な利益が期待できるこの運河を巡り、駆け引きを始めます。
1886年、コロンビア共和国が成立しましたが政情は不安定に。アメリカのルーズベルト大統領はパナマの分離独立を強引にはかり、1903年にパナマはアメリカの後押しで独立します。アメリカは独立3日後に政府を承認し、パナマの全権大使とされたフランス人ビュノー・バリーリャとアメリカの間でパナマ運河条約が調印されます。これにより、パナマ共和国は運河により二分されました。

1913年、アメリカがパナマ運河を完成させます。運河地帯はアメリカの領土となり、運河から得られる利益は国民に還元されることなく、政治にも干渉が続きました。実質的にアメリカの植民地となっている状況に国民は不満をつのらせ、1925年に初めての反米闘争が起こります。すぐに鎮圧されましたが、これをきっかけにパナマ運河地帯の返還要求運動が盛んになり、パナマ政府もアメリカとの交渉に入ります。1936年には、ついにパナマ運河地帯の主権はパナマにあることが認められました。 第二次世界大戦後、反米運動はいちだんと盛んになり、じょじょにアメリカも譲歩していきます。1977年、ついにアメリカとの新条約が結ばれ、1999年までにパナマ運河はパナマに返還されることが定められ、その条約は守られました。

略年表

世紀 年代 できごと
16世紀 1501年 スペイン人バスティーダ、パナマ地峡発見
19世紀 1821年 大コロンビアの一州としてスペインより独立
20世紀 1903年 コロンビアより分離独立
1914年 米国、パナマ運河完成
1968年 トリホス将軍、クーデターにより実権掌握
1978年 ロヨ大統領就任、民政移管
1983年 ノリエガ将軍が国軍最高司令官に就任
1989年 米国の軍事侵攻、ノリエガ将軍逮捕、エンダラ政権発足
1999年 モスコソ大統領就任、パナマ運河返還、米軍完全撤退
21世紀 2004年 トリホス大統領就任(故トリホス将軍の実息)
2009年 マルティネリ大統領就任
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